花の乱:5(33-37(e))

第33回:1994年11月13日:銀色の夢

足利義尚(松岡昌宏)は葛川明王院で参籠し日野富子(三田佳子)が来て共に籠もり、森侍者(檀ふみ)と一休宗純(奥田瑛二)を弔ったと告げた、小川御所で足利義政(市川團十郎)が森侍者に会い一休が椿の庄の窮状を富子に直訴する積もりだったがもはや是非もないと聞き、義政は富子と義尚が戻る前に山荘に引きこもると告げ森侍者を誘い、10月に義政は洛北の山荘に移った。。
富子と義尚は戻り在所を譲られたと知り、富子は義政よりも義尚を選んだと告げ、1482年春に長谷山荘で義政は目覚め、森侍者と善阿弥(織本順吉)と吉阿弥(左右田一平)らが働き、東山山荘の襖絵の作者を話し森侍者は雪舟と言うと義政と同じで薪割りを頼み行うと、義尚と日野昌子(江口ともみ)夫婦が訪ね来て善阿弥は昌子は森侍者に似ていると言った。。
義尚は武芸に励み武家の棟梁を目指すと言い、義政は子は親を見て育つと言い自身が先代の反対を目指したが結果は大乱を起こしたと言い理想の将軍は自分の信じる道を歩むしか無いと言った、義尚が戻り富子に様子を告げると伝奏・勧修寺教秀(水野強彦)が来て内裏の修復を望み駄目なら移転を告げると、富子は猶予を頼んだ。。
骨皮道賢(ルー大柴)らが長谷山荘の様子を覗い、森侍者に会い話し蛍火(鶴田真由)は都に居なく椿の庄に居ると聞き去り、義政は吉阿弥から善阿弥が悪いと聞き見舞いに行き森侍者が笛を聞かせ義政は善阿弥に東山山荘の箱庭を語り会うと善阿弥は死んだ。。
1483年春に富子は伊勢貞宗(長森雅人)から、義政が守護大名に東山山荘普請料を求めたと聞き、内裏の修復が先と考え富子が長谷山荘に行くが対面が出来ず、富子は森侍者を見かけ帰った。


演出:小林武

第34回:1994年11月20日:山城国一揆

独立国家・惣国が現れ、幕府と大名に邪魔となり、争いを続ける畠山義就(永澤俊矢)と畠山政長(赤羽秀之)は伊吹三郎(役所広司)率いる椿の庄を巻き込んだ。。
義就と政長の闘いは長引き、山城国国人の怒りは頂点に達した、1485年10月に小川御所で足利義尚(松岡昌宏)が出陣の準備をし、伊勢貞宗(長森雅人)から聞いた日野富子(三田佳子)は義尚から政長への激と聞き、宿老・細川政元(今井雅之)は上原賢家(田中弘太郎)から義尚の出陣を聞き己を知らぬと言った。。
義尚は政長から報告を受け、勝敗は山城国国人の動向により椿の庄の伊吹三郎(役所広司)と吉田の庄の吉田十郎が要と聞き、義就も同様に考え通告を命じた、椿の庄で骨皮道賢(ルー大柴)らがたまがき(濱田万葉)と蛍火(鶴田真由)と話し、三郎は吉田十郎らに義就と政長からの通知を話しどちらにも付かないが百姓を巻き込みたくなく、義就と政長共に山城から追いだしだいと考え、三郎は義就の家来になり吉田十郎が政長の家来になる機略を告げた。。
熊谷大八郎(中村歌昇)が義就に三郎が従い椿の庄の見分を伝え、吉田十郎が政長に従うと告げた、椿の庄で三郎は蛍火の舞で義就を迎え家来が義就の配下を襲い、三郎が義就に去り状の証文を求め政長も同様に監禁された、富子と義尚と政元は報告を聞き義尚は征伐を思うが富子は悩み、富子に三郎の使者が来るが義尚が殺害し、富子は乱心と言うが強い将軍を望んだと言い、三郎は後悔し自ら富子に会うと言い駄目なら決起せよと言った。。
三郎は富子に会うが、富子は守護の権限は譲れぬと言い三郎は幕府が奪い取り返して貰いたいと言い対立し、義尚は殺害を図り去る三郎が襲うと見た富子が止め謝り、三郎は富子の心の椿の庄の景色に賭けたと言い、政元が義就に引きあげを求めた。。
義尚は足利義政(市川團十郎)に敵は母・富子と語り、三郎らは惣国を立ち上げた。


演出:谷口卓敬

第35回:1994年11月27日:露の命

1487年春、足利義尚(松岡昌宏)は管領・細川政元(今井雅之)に惣国の守護大名の侵略の対処を求め全国に広がると諫められると吐血し倒れ、日野富子(三田佳子)は聞き口外を封じ妻・日野昌子(江口ともみ)にも話さず、見舞い医師(庄司永健)から酒の飲み過ぎで対処出来ないと言われた。。
大御所・足利義政(市川團十郎)が義尚を見舞い、富子は祈祷し生まれ変わりを信じるが成らず、美濃国茜部で足利義視(佐野史郎)は義尚の病を妻・日野松子(久我陽子)と足利義材(大沢たかお)と政元からの知らせで知り義材が次期将軍と考え、義材は都で富子と政元に会い義尚が一時持ち直し、6月に昌子が義尚に流産を謝ると義尚は近習から富子が義材を呼び寄せた事を聞いた。。
近江国守護・六角高頼(山本龍二)が公家らの所領を奪い幕府に訴えが集まり、義尚は討伐を図り直に指揮を取ると告げ、富子は病身で無理と言うと戦死しても義材がいると答えられ、昌子が富子に義尚に離別され義材の将軍を図った事が原因と言い、近習が富子を義尚から遠ざけ、9月義尚は近江に出陣し、昌子が尼僧になり小川御所を去った。。
東坂本で義尚は政元と軍議を開き観音寺城を攻め、六角高頼は火を放ち後退したが義尚と近習は政元の意見を無視し深追いし、富子は義政に義尚への取りなしを頼み出陣前夜にいとまごいに来たと聞き辞世の句を見せられ手遅れと言われた。


演出:黛りんたろう

第36回:1994年12月4日:大文字

応仁の乱以降は三管領・細川と斯波と畠山と四職・山名と京極と一色と赤松との宿老会議は形式的になり、力を持つ者が政治を動かし代表が管領・細川政元(今井雅之)で足利義尚(松岡昌宏)に従うが野望を持って居た。。
1488年秋、近江国鉤の陣(安養寺)で幕府軍は近江国守護・六角高頼(山本龍二)に持久戦で勝敗の目処がつかない状況になり、足利義尚(松岡昌宏)の陣中は倦怠と退廃の雰囲気に包まれ、医師(庄司永健)は政元に義尚の病は回復の目処がないと言い、政元は都に帰り次期将軍を目処を考え、大御台所・日野富子(三田佳子)は大内政弘(藤岡弘)を都に呼び義尚の援軍を頼んだ。。
政弘は伊勢貞宗(長森雅人)と義尚に会い大将の器かは兵を見れば判ると言うと義尚と近習は自ら先陣を切ると答えた、1489年春に貞宗は政弘が風紀の乱れを改善するが義尚は帰ろうとせず富子に迎えに来る様に求め、富子は本陣に向かい聞いた病床の義尚は武具を付け勝手に出陣し、途中で聞いた富子は政弘を助けに送り自らも後を追った。。
義尚は誰も味方が来ないが突入を決め、近習が止めるが敵は富子だと告げ敵陣に向かい、政弘が追うが義尚は弓矢に倒れ死に、政弘が富子にあっぱれな最期だと告げた、東山山荘で大御所・足利義政(市川團十郎)は森侍者(檀ふみ)から富子が義尚の後を追う気がすると言われ否定したが救って欲しいと頼まれたが無理と答えた。。
政元が天狗の装束で祈祷し、義政が異母兄の政友の子・清晃(羽江幹朗)を東山山荘に独断で呼び寄せ、富子は気力を失っていると告げ、山城の惣国に手を焼くと聞き伊吹三郎(役所広司)に結集と聞き狙い、法界寺で森侍者が仏像に祈り幼少時の日野重子(京マチ子)と日野苗子(平淑恵)と日野富子(大野麻那)と一休宗純(奥田瑛二)を思い出し、富子は自害を図るが出来ず祈祷所を出て義尚の初盆の大文字の支度を命じた。


演出:小林武

最終第37回:1994年12月11日:風花

1490年1月7日に足利義尚(松岡昌宏)後の将軍が決まらず年を越し、大御台所・日野富子(三田佳子)は急病の大御所・足利義政(市川團十郎)との仲は益々疎遠になり、富子は訪ねて来た森侍者(檀ふみ)から義政がまもなく死ぬと聞き東山山荘に共に行き見舞い神仏はどちらの味方もしなかったと話し、気づくと森侍者は居らず1人で来たと言われ、義政は他界した森侍者が誘ったと言った。。
義政は富子に先に死んだ者が残った者の心の中にいると言い、自分には故郷がないと椿の庄を尋ね、富子は幼少の思い出を正月から春・夏・秋と順に話し、義政は富子に2人で以降かと最後の旅と言い、洛外への橋で風花が舞い義政が病で立ち止まり死んでいった。。
大館右馬助(せんだみつお)が橋の上の義政と富子に声を掛け去り、3日後に富子は仏門に入り東山山荘に移り、7月に足利義材(大沢たかお)が10代将軍に付き、管領・細川政元(今井雅之)は山城国と清晃(羽江幹朗)の将軍を望み、義材を河内国への追い払いを図り畠山義就(永澤俊矢)討伐を考え、邪魔な畠山政長(赤羽秀之)殺害を考えた。。
1493年春に義材が河内国へ義就討伐に出陣し、陣中で政元は政長を殺害し義材を幽閉し直ぐに清晃を元服させて足利義遐に替えて11代将軍にし、富子は義材が小豆島流罪と聞き伊勢貞宗(長森雅人)に東山山荘に義材を招かせ会うと越中に落ち述べさせた。。
山城国人・伊吹三郎(役所広司)は幕府との戦を仲間と話し道は1つと考え、富子は政元に東山山荘立ち退き求められ椿の庄は存在しないと言われ、1493年9月に山城惣国は政元らにより最期を迎え三郎らは砦に追い込まれ骨皮道賢(ルー大柴)が蛍火(鶴田真由)と会い、三郎は仲間に山を降り丹波を目指し新しい国作りに参加すると伝え道賢と蛍火に夫婦の盃を取らせた、政元軍が攻め三郎らは殺害されて行った。。
富子は三郎らの戦の後に来て庄助(今福将雄)に会い皆死に早く来て欲しかったと言い丹波を目指し富子はどこへ行くか考え、三郎は義就を襲い斬り殺し、富子は3年後に生涯を閉じたが場所は判らなかった。


演出:村上祐二

感想:

歴史と伝説が混ざる時代の、双方が交ざるドラマ。
時代が変わる時が、大乱とその後の戦国時代という全国的な事件で起きた。
そこで生きた個人の存在の有無が、影響したかどうかは不明だ。
7-11代の将軍の時代を生きた主人公だが、将軍に存在の意味があったかどうかは不明だ。


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