個別作品04

「私はその男にハンザ街で出会った」

1981:奇想天外
2000:「山尾悠子作品集成」国書刊行会
2010:「夢の遠近法 山尾悠子初期作品選」


私はその男にハンザ街で出会い、飲み明かした。
男の住居は古い装飾過剰の建物の7階で、エレベータは新しかった。
旅行者の私はホテルよりも多くの時間を男の部屋で過ごし、奇妙な生活だったがいつまで続くかは避けていた。
長く続いた、二人の生活と男の行動はしばしば奇妙だった。
夜、私は予告なしに訪問して拳銃を男に発射した。
私は過去に似た記憶があった、死体が自身の顔だと意識のすみに押しやった。
エレベーターに乗って降りて扉が開くと、また同じものが有った、いつまでも分身のエレベーターがあった。
各階も同様だった、繰り返すうちに構造が単純になり、操作盤も無くなっていった。
無限に昇降するのか、判らなかった。


感想:幻想ではなく、ホラーと言えます。1人称の出来事の話は、妄想よりも実際に降りかかる恐怖とあきらめと感じます。

「遠近法・補遺」

1982:「夢の棲む街I遠近法」三一書房
2000:「山尾悠子作品集成」国書刊行会


「腸詰宇宙」では回廊群は劇場の桟敷席になぞらえる。
この宇宙が新鮮な頃は「太陽の鳥」と「月の魚」がいた。
この世界でも歴史の流れと、時代の変化はあった。人はまだ遠近法や蝕や天体をながめられた。
「蛇の墜ちてくる日」までしばらくあると人は世界を眺めていた。
繰り返しの運行の他に、異変が起きた、有翼人が墜ちてきた時はその腕は造物主のものと噂した。
黄昏の時代は辺境の少女の錯乱からはじまった、数十世代により世界は汚染されたと言った。
信仰が一部であった、石が風化するように宇宙の最上部と下部が崩れているという、しかし確認は出来ない。


感想:副題は「未完プラス七節」です。架空の腸詰宇宙が、実在の宇宙論のように変化しながら最後に死滅するイメージを 描いたと思う。似ている。

「支那の禽」

1980:ソフトマシーン
2000:「山尾悠子作品集成」国書刊行会


ガレエ氏はF嬢の骨牌会へ向かっていた、彼女の誕生日で贈り物が必要だった。
多くの男が贈り物を用意しているだろうが、ガレエ氏は支那の二粒の黒真珠を用意した、彼はF嬢に支那を見たからだ。
通り路の森で夜啼き鳥に会うと、一粒欲しいと言った。
ガレエ氏が断り、会に出席すると人数が多くて黒真珠は目にとまらず、F嬢は骨牌で男を一人選んだ。
ガレエ氏は夜啼き鳥を盗み、1粒を与えたが鳥は数日後に逃げ出して飛んでいった。
ガレエ氏は残りの真珠を、次の夜会のために上沓と取りかえた。


感想:掌編も多いですが、短くてもストーリー的にまとまっています。 本作は、始まりと終わりとで大きな変化がないという話ですが、その間の話です。
そもそも、その話は存在しても存在しなくても良かったものでしょうか?。

「秋宵」

1981:ショートショートランド
2000:「山尾悠子作品集成」国書刊行会


夜にふたりの男が話している。
「丘の上の館の令嬢が、晩餐会の途中で首なし死体で発見された。
令嬢は、ふたりだけの別の晩餐も準備していたが、相手は不明だった。
その相手が、車にのせて出かけたか、首を持って出かけたか、色々取りざたした。
客達は酔っており議論をして、ついには再現してみる事になった。
首無しの令嬢を椅子にすわらせて、客役の男が首無し死体を車にのせて逃げた。
そして、そのまま戻って来なかった。」
首無し死体でも、盗みたかったのだろう。
首なしでも美しい令嬢の事を、話したくてしようがないのだ。


感想:ショートショートです。 密室とか首無し死体とかが、登場するしまつでそれも、犯人かも知れない人物が登場するが、最後はホラー風に終わります。 色々な切り口に出来る話だが、作者はこれを選んだ。

「菊」

1980:ソムニウム
2000:「山尾悠子作品集成」国書刊行会


百本近い菊の花束を持って帰って来た大尉を見て、妻は受け取るのが後れた。
重いので再び渡そうとしたが、用事が出来た妻はいなくなり、戻った時は大尉は居なくなっていた。
少年の所に、女が赤ん坊を抱いてやってきて、預けたままでいなくなった。
少年は重い赤ん坊をもてあましていたが、赤ん坊は自分は天使だという。
少年が天使にしては重いというと、寝てしまった。
大尉と少年が、出会うと互いに持っているものの重さが判った。
ベンチには、花束に囲われた赤ん坊がいた。
重さがなくなった、大尉と少年は、重さがいやなので元の場所に戻らなかった。


感想:ショートショートですが、二つの話が合体する展開です。 天使が登場するとどっきりするが、特に発展させなかった様です。

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